好きです、札幌。

札幌を紹介するためのブログではありません・・・。

必要だったのは。

 

 

最近気づいたことがある。

今までの人生、
思春期が始まったくらいから
私はずっと自分の感情を共感してくれる人を探してきた。


私の孤独や私の苦悩を、一緒になって理解してくれる人だ。

 

どうやらこないだの性格診断によると、
私は大多数の人よりも、やや繊細すぎる部分があるらしい。
いや、自分でも重々理解していたが、言葉で説明されると
さらに腑に落ちる部分があった。


そんな繊細な私なので、思春期の多感な時期は
きっといろいろつらい事があったのだろう。


自分のことではあるが、もうそのころのことを
リアルには思い出せないのも事実だ。


いわるゆ「いじめ」とか「家庭問題」など
わかりやすい問題は何一つなかったが、
不安定なことはたくさんあったと思う。


それがゆえに、私を深く深く理解してくれる人を
友人でも家族でも恋愛関係でも求めてきたと思う。


しかし、それは間違いだったのかもしれない。
最近、改めて気づいたことがある。


今、一緒に暮らしている彼は、 私がもとめ

ている人とは正反対な部分が多くある。


自分については繊細な部分があるが、 人のことになるとあまり関心をもたない。
いわゆるちょっと「マイペース」で「無自覚なわがまま」な人だ。


でも彼のそんな部分に最近救われることが多い。


「そんなことで落ち込んでるの?」と鼻で笑ってくれるような
おおらかさが、今の私には必要だったらしい。


彼の鈍感さが、私の心に余裕とやすらぎを生み出してくれている。


一人だと考えすぎることを、笑いとばしてくれる楽観さが、
私のことも導いてくれている。

 

彼はそんなこと何ひとつも気づいていないと思うが、

昨日、ふと夜中に、彼の寝顔を見ながら、
心の底から「ありがとう」と言いたくなった。


私はどうやら求めるものを間違っていたようだ。
自分にないものが、自分の世界を広げてくれている。
彼にとっても私が、そんな役割を担っていればとてもうれしい。