好きです、札幌。

札幌を紹介するためのブログではありません・・・。

お酒が悪いのか?

 

札幌は11日でマンボウが解除される予定だ。

それでも、種類提供については、1時間緩和されるだけらしい。

 

私は街中のビルで働いている。

お酒を飲みくる人たちというのは、とらえようにとっては、

週に何回も街に出てくれる、お金を落としてくれる優良な顧客だ。

 

彼らがいないと夕方の街が賑わうことはない。

彼らがいないと、仕事帰りに真っ直ぐ帰りたくないなと思って回遊する人がいなくなる。

 

果たして、マンボウが終わっても、人は街に戻るのだろうか?

 

飲酒=全ての諸悪の根源みたいなイメージを

取り除かない限り

いつまでたっても人は街に寄り付かないのではないか?

 

東京の4回目の緊急事態宣言は見せしめのようにも感じる。

いくらマンボウが終わったって、自粛生活を続けないと、

国はいつでも緊急事態宣言を出せる。

 

社会で活動する人たちにとって

緊急事態宣言は怖いものだ。経済が一部止まる、ということだからだ。

どんな業種だって少なからずの影響は受けるだろう。ープラスにもマイナスにも。

 

札幌では時短要請を守らない店の店名が昨日公表されている。

その中には、過去利用したことのある店もあり、

正直、ネガティブなイメージは持つことはできなかった。

 

この中でも必死に営業して戦っているように感じてしまった。

結局、また、そこに人は集まるだろう。

それを営業戦略としているお店も必ずあると思う。

 

早くこの札幌の中心部に人が溢れる姿を見たい。

ヨサコイ祭りやオータムフェストにビアガーデン。

大通公演は市民にとって、楽しむための場所だったのに、

今はオリンピックに向けて工事され封鎖されている。

 

それで観光客でも増えてくれれば、まだ御の字だが、

なかなかそううまくはいかず。

 

全てが八方塞がりに感じてしまう今日このごろ。

 

今年の夏は、なんだか去年の夏より生きづらいなぁ、と最近感じる。

 

札幌の夏は、短いのに。

質の良い睡眠

 

昨日の夜、彼が実家へと旅たった。

久しぶりに離れるので、寂しい気持120%だった。

そして、彼の家でひとりで寝るのは、初めてのことだったので、

どうなるかと思っていた。

 

結果、数週間ぶりに、起きたときに身体がスッキリするような感覚を味わった。

それくらいどうやら熟睡したらしい。

 

そしてここのところ落ちないと嘆いていた体重もしっかりと落ちていた。

 

どうやら、私は彼と暮らしてから良質な睡眠が取れていなかったらしい。

 

彼と暮らし始めるとき、睡眠のことは心配した。

私はどこでもいつでも寝られるタイプの人間ではない。

心配事とか次の日に大事な予定があると、睡眠がとても浅くなるタイプだ。

 

だから人と同じベッドで寝て、しっかりと寝られるだろうか?という心配はあった。

 

意外にも暮らし始めてから、私の寝付きはよかった。

彼が隣にいることで精神が安定するのか、ベッドに入るとすぐに眠りにつけた。

ただし、夜中に起きることも多々あった。

それでも、しっかりと目が覚めるほどではなく、起きてもすぐ眠りに戻るの繰り返しだった。

 

だから、ちゃんと寝てるだろう、寝られているだろう、と勝手に思っていたが、

どうやら違ったらしい。

 

体のだるさや疲れが取れないのも、きっとそのせいだったのだろう。

 

もう少し時間が経てば、彼が隣にいることにもなれて熟睡できるようにはなるだろうと思っているから、そんなに心配はしていない。

 

今回は、睡眠一つでこんなにも体調に影響があることをまざまざと実感させられた。

そして、彼がいないことでこんなにもスッキリ寝られていることにも少し罪悪感を感じている。

人間の体はとても正直だ。

 

睡眠についてもう少しこだわれるように色々リサーチしてみようと思う。

贈り物の価値

 

彼が帰省をすることになった。

お父さんの法要とお母さんのお誕生日祝いを兼ねているとのこと。

 

彼の家族が仲良さそうなのを感じられると、私も安心する。

自分がいつかその一員になるかもしれない、

一員にはなれなくとも、共通の大切な人がいると思うと、繋がりを感じる。

その人たちが互いを大切に思い合っているのは、

見ていてほっこりする。

 

彼は張り切ってお土産をいっぱい用意している。

お母さんには誕生日祝いとしてたくさんの牡蠣とホタテを注文した。

実に北海道らしいプレゼントだ。

 

私も彼に何か持たせたく、色々考えて

北菓楼のおかきと北海道の地元ワイナリーのワインを買った。

 

お酒が好きな家族と聞いていたので、

自分的にベストお土産だと思う。

 

会ったこともない人に贈り物をするのは難しい。

好みや価値観がわからないから。

 

贈り物も見てみたら、ピンからキリまである。

千円から買えるギフトセットもあれば万円単位のものまで。

 

金額が全てでは決してないが、

金額=気持ちという要素は少なからずあると思う。

 

彼のお母さんに、自分が彼のことをどれだけ大切に思っているかを伝える機会だと

私は思っているので、慎重に選んだ。

 

嫌味になりすぎない金額で、かつ、軽くない金額で・・・。

 

こういう物を通して礼儀を尽くすというのは

私の母からしっかり学んだことだ。

 

贈り物をして気分を損ねる人はいないはず。

自分の気持ちを伝えられる機会なんて1年にそう何度もないのだから

できるときに悔いないように、といつも口酸っぱく言われてきた。

 

結果、今日も自分の考えてた予算を少し上回ってしまった。

でも、これで彼の家族が喜んでくれたらいいな、と100%純粋な気持ちだ。

 

結果は、いかに。

 

 

してあげたいという気持ち

 

わたしは自分のことを家庭的な女性だと思ったことは一度もない。

 

そもそも子供を産みたいと思ったことがない、というのと、

やはり自分の能力を最大限に活かして社会で役に立ちたいという願望が強いので

そもそも活動の規模が違う。

 

だが、自分の性質として

相手に何かしてあげたい、という尽くす気待ちみたいなものは、かなり強いと感じている。

 

今も彼と暮らしてみて、

家事のほとんどをわたしがしている。

彼も一人暮らしが長いので、できないことはないくらいの家事スキルを持っているが、

なぜかわたしがしている。

 

いや、正確にいうとしてあげたいのだ。

 

それで彼の負担が減って、彼が自分のやりたいことに集中できるなら、

それほど嬉しいことはないと、わたしは純粋に思える。

 

全く苦痛じゃない。

それは、彼も私に完璧を求めない寛大さを持っているからプレッシャーを感じてないという要素も大きいと思う。

 

よく友達との話で聞く、

共働きなんだから家事も平等にやるべき、みたいな話、私はそう思ったことがなかった。

 

それが悪いとかじゃなく、

自分の発想にないことを言われて単純に驚いた記憶がある。

 

今まで自分の中で当たり前だと思っていたことが

実は当たり前じゃないのだと知れたことは大きい。

 

ただ自分のこと「してあげたい」は強すぎると相手を甘やかし相手に依存されることが多いのも知っている。

 

ここはコントロールが必要な部分だ。

それは相手をではなく、自分の気持ちのコントロールだ。

 

でも今はしてあげたいと思える人がいて、

とても幸せなのだ。