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育ちの良さとはなんだろう

 

あの人は育ちがよい、という表現をたまに耳にする。

 

育ちが良い、とは一体どのような状態であれば、いえるのだろうか。

 

正直、その定義について、うまく言語化はできない。

教養なのか、人格なのか、所作なのか、

何をもって、その人の育ちのよさが決まるのか、正確な説明はできない。

 

でも、感覚的に「この人育ちがよくないのかな?」と他人に対して感じることは

時々ある。

 

私が思うに、家の中とか、超プライベートな空間においては、

誰しもがダメな人間になると思うし、なるべきだと思う。

 

きっと、足で冷蔵庫を閉じてしまったり、よれよれのパジャマを着ているかもしれない。

 

それは全然よい。私ももちろんそうだ。

 

ただ、私が感じる「あれ?この人、育ちが良くないのかも?」と思うのは、

公の場で「誰かから見られているかも」という感覚を持ち合わせていない人だ。

 

これは完全なる持論だが、

ちゃんと親に育ててもらった人は、

良い意味でも悪い意味でも「見られている」という感覚があると思う。

 

善いことをしたら褒められるし、悪いことをしたら叱られてしまう。

 

この「見られているかもしれない」というのは、

安心感にもつながるし、緊張感にもつながると思う。

 

でも、親から放任で育てられた人はこの感覚がない人が多い気がする。

それは自由や個性を育てるのにも繋がるかもしれないが、

ちゃんとしなきゃいけない場面でちゃんとすることができないと

社会的には不利になることが多い。

 

もちろん育ちの良さは親だけで決まるものではないと思う。

大人になってから、自覚をし、自分で自分を教育することはできる。

 

だから、生まれや環境ですべてが決まるとは思わない。

 

ただこの「見られているかもしれない」という感覚は

持っている方が圧倒的に良いとは思う。

 

ちゃんとした大人としてのふるまい方が身につくからだ。

 

人前での座り方、話し方、食事の仕方、など。

意識さえもてば、まわりの人間から学ぶことができるだろう。

 

少なくとも私は、そういう人間でありたいな、と感じる。