好きです、札幌。

札幌を紹介するためのブログではありません・・・。

身近なところにいる

 

昨日、久々に祖父に会った。

ちなみに私は祖父が大好きだ。

うるさいし、うざいし、声大きいし、

もう嫌なところを挙げたらキリがないけれども、

理屈ではなく、祖父が好きだ。

 

そして、祖父とは血が繋がっていない。

祖父は、亡くなった祖母の再婚相手なのである。

それでも、私が生まれる前からもう再婚していたので、

私にとっては、生まれた時からおじいちゃんはおじいちゃんなのである。

 

私にとっておじいちゃんは、親戚の中で唯一気を遣わない相手だ。

敬語で話さなくてよくて、放っておいても心が痛まない。

自由な関係だ。

なぜおじいちゃんにだけそんな感情を抱くのか、私にもよくわからない。

 

でも子供の頃からおじいちゃんだけには緊張しない。

ちなみに亡くなった、血のつながっているおばあちゃんは、

とても怖くて、いつも会いたくないと思っていた。

かならず一言嫌味があるからだ。

 

おじいちゃんはおじいちゃんで私の中で変わらないけれど、

大人になっておじいちゃんを改めて客観的に見てみると、

おじいちゃんは明らかにADHDだ。

 

落ち着きがない、人の話を聞けない、

自分の意見を抑えられない、感情の抑制が聞かない。

 

ポジティブに表現したら、ラテン系、情熱あふれる純真さがある。

嘘や建前がない。本音の一本勝負だ。

 

だからこそ、いろんな人と衝突してきてるのも見てきた。

人から煙たがれているのも知っている。

 

確かに、一見すると、こんなに無礼な人は見たことがない。

しかも、加えて、素直じゃない。男ってこういうものなのか。

 

昨日は改めて、あぁおじいちゃんてADHDだよな、と思った。

今まではそれをおじいちゃんの「性格」と思って処理していたが、

そうか、これはADHDなのか、と思うと、すごく色々な点がつながった。

 

だからと言って、今更、何も思わない。

おじいちゃんはおじいちゃんだし、

色々苦労しながらも、周りの人に助けてもらいながら、

ここまで来たのだ。

 

ADHDは一つの要素であって、人の何かをきめる絶対的な性質ではないと思っている。

それ以外の要素でも大きくかわると考えている。

 

おじいちゃんは、そんなこと考えずに生きてきたろうなぁ。