胸がきゅーっとなるとき
最近、ふと思い出したことがある。
昔から、トイレに籠ることが私は好きなのだが、
小学生とか中学生くらいの時だったろうか。
いつも通りトイレで一息ついていると、
時々、胸がぎゅーっと痛くなる時があった。
それは私の「サミシイ」のサインだ。
私は、やっぱり昔から繊細すぎるのかもしれない。
両親が共働きで、わかりやすく、子供らしく親に甘えることができなかった。
親も親で、若い時に親になったので、
子供に全力で愛情を注げるほど、余裕のある暮らしではなかったと思う。
だからこそ、親にサミシイと言ったことも一度もなかった。
幼心にトイレでぎゅーっと感じるとき、
あ、これはサミシイなんだ、と気づいた。
私は誰かに猛烈に愛されたいと思っていた。
それは今の恋愛観に大きく影響されていると思う。
愛したいし、愛されたい。
その欲が人よりも大きいと思う。
だから気持ちを伝えたいし、伝えられたい。
不安になりたくない。寂しい気持ちになりたくないし、させたくない。
幼少期の過ごし方ってとても大切なのだと、
この年になってよくわかる。
愛情を存分に注がれた子供、
ちょっと足りなかった子供。
心の安定度が違う。
私は親とは、大人になってからの方が濃い時間を過ごせた。
だから、子供の頃足りなかった愛情は補填されたと思っている。
みんな愛されたいと思っているのだ。