好きです、札幌。

札幌を紹介するためのブログではありません・・・。

なんでだろう。

 

私の母親は、専業主婦になったことが、1〜2年位しかない。

 

それ以外はずーっと父と同じくらい、もしくは父以上の収入を稼いできた。

5時間のパート、とかではなく、自分で事業を起こしたりして、

男の人と肩を並べて生きてきた。

 

そんな母が家庭に入ると、

絶対に「女」の役目を忘れないのだ。

 

世代もあるかもしれないが、(それでも50代)

父に家事分担の平等を求めたことが1度もない。

 

忙しくてもご飯も作るし、洗濯も掃除もする。

もちろん仕事をしながらだから、毎回が完璧ではないし、

手を抜く時もある。

父に一方的に家政婦扱いをされるとキレることも、もちろんある。

 

人間らしい。

 

そんな「女性も自立を」をテーマに生きてきたような母だが、

私にも彼氏に対して尽くしなさい、という。

 

ご飯を作りなさい、朝は彼より早く起きなさい、

労ってあげなさい。

 

私もそんな母を見て育ってきたからか、そこに対して、疑問を抱いたことが一度もなかった。

 

そうするのが私の役目だと思っているし、

そうしてあげたい、支えてあげたい、と思っている。

 

でも、ふと考えた。

共働きなのに、この役割分担はどこから出てくるのだろう?と。

 

女だから、男だから、というのは

生物学的な話にもなるし、ジェンダー学の話にもなる。

 

私の中に根付いている考え方は、もちろん環境が育てたものではあると思うが、

すごく興味深いと思った。

 

私は私で今の世代だから、この考え方を進化させてもいいのかもしれない。