好きです、札幌。

札幌を紹介するためのブログではありません・・・。

望まない犬との暮らし

私は、望んだことは1度もないけれど、

中学生くらいのときから、ほぼずーっと犬と暮らしている。

 

父と妹が犬好きなのだ。

 

しかも小型犬ではなく、大型犬好き。

 

今は2匹大型犬が家にいる。

3代目と4代目だ。

 

妹は後先考えないタイプで、

1匹目の犬が死んだあと、もう犬は飼いたくないとおもった母と私の意見を

完全に無視して、2匹目の犬を連れてきた。

 

その行動力は、ほかのことに活かしていたらとてつもないことになったと思う。

 

一人で面倒をみると言い切って飼い始めたのはいいが、

彼女も当時学生だったので、無理な話だった。

 

結局、2匹目のときは父がほとんど世話をしていた。

 

4~5年前、妹も社会人になり、3匹目4匹目の犬を飼い始めた。

 

年老いた父と母に大型犬の散歩は大変で、

結局妹が家にいないときは、私に犬の世話が回ってきた。

 

2匹もいると、何をするにも犬が一番になる。

妹が出張でいない間は、私は家を離れることができない。

そして出張が多い仕事についてしまった。

ここ数年は、犬のために夕方に家に帰りごはんをやり、散歩に行くという

なんだかシングルマザーにでもなって気持ちの数年を過ごしていた。

 

ごはんをあげるのも、病院に連れていくのも、

夜同じベッドで寝るのも、全部私。

 

今はコロナになり、妹も在宅勤務が多くなったおかげで、

ほとんどすることはなくなったが、

それでも、子育てと一緒で、細かな世話をあげるときりがない。

 

そう思えば、私の人生、誰かのお世話をすることが多かったと思う。

長女ということもあり、誰よりもしっかりしていなくては、という無意識が働いていたのかもしれない。

 

何かしら受け入れることが多かったから、犬も一つのタスクくらいに思えたのかもしれない。

 

飼っている犬はかわいいけれど、溺愛はしない。

別に、万が一、いなくなってもいい、と、正直に思うくらいの感覚。

 

結局、責任感と義務感で犬のお世話をしている。

でも時々、かわいいし、やっぱり癒されることも多い

(それ以上に腹が立つことも多い)

 

においもくさいし、家は傷つく。

ごはんを催促されて、トイレも催促される。

 

望まない犬と暮らして、もう17年くらいだ。

不思議な共同生活はいつまで続くだろうか。

 

この共同生活にはどんな意味があるのだろうか。

望まない犬との暮らし。

定期的にレポートしていこう。